2011年03月13日

東北地方太平洋沖大地震、東日本大震災の被害にあわれた皆様、そして私達へ


相次ぐ余震、突発的な津波警報、困難を極める原発復旧と今なお非常事態にあります。

被害に遭われた方々、行方不明の多くの方々、そのご家族、ご友人、未だ安否確認がとれておられない方々、心から、心からお見舞い申し上げます。

犠牲になられた方々、そして御遺族の皆様には深くお悔やみ申し上げます。引き裂かれんばかりの御心痛、察するにあまりあります。

或いはなんとか避難できた37万人(3月14日13:00現在)の方々。場所によっては80人にパンが5つに牛乳が3本しか支給されない、と聞きます。一日1回おにぎり一つを3人で分け合う、いえお母さんは食べずに子供にあげていらっしゃる。圧倒的に食料が足りないようです。これは供給量の問題ではなく、ロジスティクス(物資運搬のためのルート確保、運搬手段)の問題のようです。

体に障害をお持ちの方、重篤な病気を患っておられながら日ごろ処方されているワーファリン、メバロチン、ホクナリンや抗アレルギー薬などなど、持って逃げられなかった方々、ストレスで授乳できなくなってしまったお母さんと小さな赤ちゃん、特殊医療器具(吸引器、人工透析など大丈夫でしょうか)、暖房器具のすべてが「ない」状態だと思います――避難=助かった状態では必ずしもない状況にあると思います。

現地で10万人の自衛隊が必死に活動を進めておられますし、国内外の多くの企業も食料をはじめラジオやカイロと様々な物資を送っておられます。各国からの緊急援助隊が続々と現地入りされておられます。なんとか、なんとか、手を握り合って下さい。家族を失い途方にくれる誰かの手を握りしめてあげてください。事情も何も分からない無垢な赤ちゃんの寝顔を見て下さい。それでも無邪気に体育館をはしゃぎ走りまわる元気な3歳の女の子の笑顔を見て下さい。

どれだけの報道を見ようが聞こうが、遠く離れた東京からは、およそ想像すらできない、メディアがレンズを向けることのできない被災の惨状が広がっているはずです。

そこで夜を徹して懸命の救援、救護活動にあたっておられる地元警察、自衛隊、消防団、地元の有志団等々、多くの関係者の皆様と敬意を感謝も申し上げます。また既に多くの方々が殉職されたと聞きます。心よりお悔やみ申し上げます。本当に、本当にありがとうございます。

もちろん東北地方大規模被災地でなくとも、その他の地域でも犠牲になられた方々は沢山おられます。しかも、まだまだ予断を許さない状況ではありますし、東京都内にも死傷者はおられます。

離れた場所から知る由もない壮絶な現場にあって、お悔やみ、お見舞いの定型文など意味がないこともよく分かっています。しかし、無力な私はそれでも、そう申し上げるしかありません。

昨晩やっと171で連絡のついた木下さん、ご家族がご無事で本当によかった。体育会系で大柄、体力には自信のある少し食べ過ぎなくらいの貴方は皆の頼りになると思います。つらいところですが今おられる避難所でのリーダーシップをとってあげて下さい。


―デビッド・キャメロン英首相


それにしても“自然の猛威”というには、あまりにも残酷過ぎます。

4つのプレート(地球の表面をおおう10数枚の巨大な岩石層の板)で構成される日本列島だからこその知恵と工夫、世界屈指の技術、日本の他のどの地域より防災意識の高かった地元の方々。

その耐震・津波技術をして設計、建設されていた防波堤、消波堤、防潮堤、仙台森林管理署管内、伊達政宗公の遺産とも言われる防潮林、街づくり。しかし、その「自然の猛威」という暴力の前では無力でした。だからこそ、悔しいのです。

被災地の方々の恐怖に比べれば微々たるものですが、ここ東京でさえ、渋谷のオフィスビルエレベータの中で、かつて体験したことのない「生命の危機」を感じました。何が起こったのか。一瞬の出来事に縦揺れだったのか、横揺れだったのか、そのどちらかだったらどうなのか、さえも分からない私ですが、ただ、直感的にこれが「東京直下」ではない事を感じました。

数時間後に限られた報道情報を頼りに被害の点が線となり、面の広さ、凄まじさが明らかになってきます。やがて200㎞×500㎞(宮城県沖→福島県沖→茨城県沖)という、にわかには信じがたい断層域が起こした一次被害(大地震)が、そして二次(津波)、三次被害(原発ほか)へと被害はみるみる指数関数的に広がっていきます。

北米プレートと太平洋プレートがきしみ、ぶつかり合いながら引き起こした宮城県三陸沖を震源(他の二つの震源を刺激したきっかけ)としたマグニチュード9という地震、そして、人類が予想だにしない規模、破壊力とスピードを記録した今回の津波。秒速10メートル、その衝突エネルギーは時速50キロで突進してくる車と同じだと伺いました。言うまでもなく我々生身の人間に為す術などありません。

その最も現実らしからぬ現実を目の当たりにし、ブログ更新管理画面を開いた今日が、奇しくも前回の日付からちょうど1年ぶりとなってしまいました。

金曜、ちょうど六本木に向かっていた私は、地震当日、そして翌日と図らずも緊急速報生放送を担当させて頂くことになりました。

土曜深夜に帰宅後も、国内はもとより海外の報道が刻々と伝える、今なお容赦ない被害拡大の様相を見せる凄絶な現実を前に、いつの間にか朝を迎えていました。



今現在、それでも比較的被害の少ない地域で、当面の安全が確保されている皆さん。計画停電にも、イライラせず協力しましょうよ。

東電の連絡が遅かったのも確かです。1時間も早く出てきたのに、この状態に理解できないのは私も同じです。情報公開にも問題があるかもしれません。民主党、官邸のかたをもつつもりは毛頭ありませんが、間違いなく彼らも寝ずに必死だと思いますよ。

「ツイッターで“今、散歩してま~す”とつぶやいたら多くの人から不謹慎だと言われた。俺の勝手だろ」、「言論の自由はどこにあるのか?」「行き過ぎた不謹慎、自粛ムードはいかがなものか?」など実に多くの行数を割いてオンライン・ディベートに口角泡を飛ばしあうブログやツイッターを見ると、本当につらくなります。

ええ、この民主主義国家にあって、全てが自由です。インターネットという実に便利な全員参加型の伝送路とテクノロジーの登場によって、いえ、そうでなくとも言論統制などない国です。何を言ってもいい。ただ、「自由」には、常に「責任と規律」がセットです。

自分の言いたいことが気持よく書けない、表現できない、拡散できない、侵害されたと主張される貴方の「権利」と、避難所の「食料」は、「今」どちらが重要でしょうか?

不特定多数に、言いたいことを言いたい時に言い「捨てる」場所がツイッター、ブログでしょうか?ネット、ソーシャルメディアは人間のストレス発散、誰かを中傷、論破する優越感、心無いチェーンメールという「廃棄物処理場」ではないはずです。伝える、伝わる、「情報の受信者を慮る」節度と規律を踏まえてこその自由だと思います。

とはいえ、被災地以外の人間が“極端な”「自粛・自重ムード」をとる必要はありません。まだまだ食べ物、生活必要品が十分でない、未だご家族が見つかっておられない避難所の方々が次に必要なのは「正確な情報」と「笑顔」だとも伺いました。

現にほとんどの固定電話、移動体通信網が麻痺する中、ソーシャルメディア上での善意と助け合いによって多くの方が助けられているのも圧倒的な事実です。不特定多数という情報受信者を慮る「心」こそ「#拡散希望」です。

ニューヨーク・タイムスが言う
(日本人は我慢強さ、私欲を制する力、秩序正しさという点において実に気高い)

が真実を現していることを祈ります。

今、私がそんな皆さんと共有したい心がここにあります。


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at 05時03分

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